飯豊連峰(1999年7月17〜19日)

 夜行列車とバスを乗り継いで、飯豊山荘に着いたのが朝の9時、地元山岳会の人と、警察官が、色々と山の情報や注意を与えていた。石転び雪渓の方に向かう人もいるが、私は、梶川尾根を行く。取り付きからからものすごい急登。門内岳まで1400mの標高差だ。ゆっくり行くしかない。梅雨時だから雲が多いが、時折日差しもある。メチャ暑い。
 途中昼寝。中年おばさんグループがドタドタ追い越して行く。藪の中に花の白いシラネアオイを見る。それからは色々な花が次々に現れてくる。
 梶川峰で樹林帯を抜ける。いきなりニッコウキスゲとヒメサユリのお出迎えだ。きれいだ。飯豊本山らしい稜線も見える。花の種類がものすごく多い。
 門内小屋のテント場には16時着。ニッコウキスゲとヒメサユリに囲まれた、鍋底のようなテント場だ。水場は、雪渓を五分位下る。小屋もテント場も満杯。ビールは700円。飲まず。これから3日間、私は酒を飲まなかった。とてもエライ。
 夕焼け雲が真っ赤っか。明日の天気予報は良くない。

 翌朝、4時に目が覚めたが、まだ暗いので4時半に起きた。超豪華ラーメンを食べ、5時20分に歩き始める。北股岳、梅花皮岳、烏帽子岳と一つひとつ越えて行くがそうきつくはない。しかし今日も花の種類と量はスゴイ。ため息がでる。
 烏帽子を越えたあたりから、雨が降り出す。合羽のズボン、半袖シャツ、傘。後二日間はこの格好で通した。
雨が降ってはいるが、眺望は良い。朝日、蔵王、吾妻連峰が雲の上に浮かんでいる。前方の飯豊本山から大日岳の稜線には、滝雲が現れる。風が強そうだ。
 なだらかな稜線に雪渓が残っている。その周りには、形容しがたい美しさの花々が、咲き乱れている。通り過ぎるのがもったいなくて、しばしば休む。立ち去りがたい。雨なんて気にならない。
 登山者の数は多いが、傘を差しているのは、私だけ。皆、合羽を着て、フードを被り、黙々と歩いている。
 御西小屋には、10特半着。雨の中、テントを張って一休みしてから、大日岳の往復に出る。遠望は利かないが、ガスの中から現れる花々は美しい。2時にはテントに戻ってきた。
 風雨の中、雪渓まで水くみだ。後は、一人、お茶を飲み、ゴロゴロするだけ。たまにテントから首を出しても、横殴りの雨、風だけ。
 御西小屋は、満杯。小屋番は風雨の中、テントを一つひとつ回って「がんばれなかったら小屋に入っていいよ。スペースとってあるからね。」と、やさしい。暗くなってから、風は治まった。

 3日目は、雨、しかし見晴らしは利く。ビショビショのテントを背負って、5時過ぎ出発。
 相変わらず綺麗な稜線を、傘を差して行く。1時間ほどで飯豊本山に到着。眺めよし。磐梯山も見えてきた。雨もふったり、やんだり。本山小屋のあたりには、濡れたテントを片づけている人たちがいる。皆、頑張っているんだなア。
 後は、川入を目指して下るだけだが、これが長かった。下るにしたがい、ガスの中に入ってしまって、眺望はない。ただ花々が、最後までヒメサユリが美しい。
 三国岳の下り、剣が峰の岩稜で登山靴がブチッと音をたてた。変だな、と思いつつ下る。(下山して見たら、靴は壊れていたが、歩くには支障がなかったのが幸い。)標高が下がるにしたがい、蒸し暑くなる。
 横峰小屋跡、上十五里、中十五里、下十五里など昔、礼拝登山が盛んだった頃の小屋前の平坦地が、適度な間隔で出てくる。そのたびに休む。老杉亭々とした御沢小屋跡が正しい登山口。昔は、ここで身を清めてから登ったそうだ。 13時25分着。標高差1500メートルを降りたことになる。
 川入のキャンプ場は、草いきれの中。こんな蒸し暑い所で寝るのもキツイな、と思いつつ、キャンプ揚の事務所へ行く。戸を開けたら、バスの時刻表が目に入った。何!午後のバスまでまだ1時間と少しある。
 方針を変更。バス停まで30分。飯豊鉱泉まで走る。狭い風呂桶につかる。気持ちいい。
 風呂上がりのビールを、飲まず。私は、意志が固い。どうだ。(どうだ、と言われても困るだろ)
 この後は、バスに乗り、磐越西線に乗り、郡山から新幹線に乗り、四時間まどで帰京した。
 単独行だと、ほとんどしゃべらないからヨイ。


inserted by FC2 system