日光白根山(1999年12月18〜19日)
メンバー 王様、FS、MR、KJ、MR

 年末山行を一週間後に控えて、私にとっては最後の訓練である。
 
 17日夜、湯元スキー場下の駐車場で前泊。翌朝、スキー場から登り始める。いきなりの急登。外山尾根の上にでるまでは、2時間ほどの忍耐である。ひたすら登るというのは、山登りの醍醐味である。
 尾根にでると雪の最も増え、雪をまとった木々も美しい。天狗平の辺りは、夏も気持ち良いところであるが、雪の中も素晴らしい。
 前白根に近づくと、その平らな山頂に白根山の突兀とした姿がせり上がって迫力ある景色を見せるのであるが、今日は風混じりの雪雲の中。足下に、凍った五色沼が寒い。
 ここまでは先行する日帰り五人組のラッセルがあって助かったが、前白根から先は、我々がラッセルする。これがなかなか楽しい。特に下り気味のラッセルは。
 五色沼避難小屋には、1時過ぎに着いた。
 避難小屋の中にテントを張って、まだ2時だ。外には4張りほどのテントがある。
 これからどうしようか。Kinkinとかじやんが、4時までに戻ってくると言う約束で、山頂に向かった。
 初めの樹林帯は、雪も深いし、方角も分からない。適当に行くが、後で他のパーティがこの踏み跡を着いてくるのだろう、と思うと変な踏み跡もつけられない。
 樹林帯を過ぎると、広い雪の急斜面が立ち上がって、その先は見えない。まっすぐ登る。真っ白な中に、たった一本の踏み跡だけがまっすぐに登ってゆく。気分よし。
 急斜面の途中で、後ろを振り返ると、足下の雲が強い風に流されて、中禅寺湖や男体山が姿を現した。空の上には月も出てくる。すごい景色だ。雲がものすごい勢いで流れて行く。
 腰を抜かして、座りションベンしそうなもの凄い景色だ。(ドーダ、芸術的表現だろ。直木賞ものだ。)
 更に、直登を続けて山頂の火口原に立つ。山頂は、異様だった。波頭がそのまま凍ってしまったような、まるで白い海の上にいるようだ。その中の、岩石の重なった小高い所に、三角点があった。 風が強く、寒い。雲中展望なし。
 早々に下山する。避難小屋には、4時2分過ぎに着いた。
 翌日は、かじやんをテントキーパーにして、4人で山頂を目指した。 Kinkin は、絶好調。
 年末の鹿島槍は、成功間違いなし。



全ての準備は、整った。25日夜発の予定が、一日遅れた。
これ幸いと、ラグビー観戦。2日間にわたり、各4〜5時間は秩父宮の寒空の下にいたのだ。メチャ、寒かった。(これが良くなかったのだ。)
 そして、26日の夜。担当した食料の、キムチ鍋の材料も買い込んで、パッキングも済んだ。そのとき、不用意に、何気なく中腰になった。尾てい骨の若干上で、異な感覚を覚えた。
 「ああ、これはあれだ」
 過去に私は、ぎっくり腰をやっている。あの感覚だ。まずい。すぐに横になる。

♪これっきりこれっきり、
♪もう、これっきりですか〜。

それっきりでした。思わず「百恵ちゃ〜ん」と叫んでいた。
 YKさんに「ぎっくり腰みたいです。電車の出発まで休んで、なんとか行きます」と電話した。あと5時間ある。
 しかし、事態はますます悪くなる。動けない。情けない。くそ−、くやしいけど、地団駄も踏めない。
 それから一週間、ひたすら寝ているしかなかった。買い込んだ行動食は、静かに確実に減っていった。私の2000年問題は、作動せずに明けた。  


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